驢庵について その1 -報告書部-

重森三玲の著の中に、驢庵について書かれてあったものを紹介します。

三玲が「今日の茶庭」自然と表現という見出しのところで

”茶庭が深山幽谷を目標するのは、内面的に純粋無垢で、清浄、無念無想の境地で修業することで茶禅の建立ができるという考え方からである。
そのため、路地には多くの植え込みや植栽が用いられるのは当然のことである。”

ということを言っています。

”しかし、その当然のことではあるが、今の時代(当時)としては作庭費も高く、
忙しい毎日に掃除や手入れが大変である。
そして何より、景観をそのままミニチュア的に模写するという安易な考え方を打破すべき”

と考えており、

三玲の中で再度、茶禅一味の内容を咀嚼すると

”一見極めて平凡で、無意味なようで、実は最高度の美、最高で深いものを要求しているため、茶庭の視野をもっと広く、高くしなければならない”

という結論になったようです。

そしてできたのがこの驢庵路地でした。

以下、三玲の文を抜粋します。

『私はこのような意味から、すでに東氏驢庵の茶庭や、増井氏雲門庵の路地、または栄光寺龍門庵の路地のごときに一木一草を用いぬものを作った。
しかし、この一木一草を用いぬものを作ったことは、なにも意味があるわけではない。
一木一草を用いぬ路地でありながら、しかもそれが、深山幽谷の表現でなければならないのである。
実はそのために、路地全体の地割の構成にもっとも苦心と努力を要するのである。』

『茶室と茶庭見方・作り方』1966 p.115