驢庵について その3 -報告書部-

重森三玲の日記には、

当時の驢庵オーナーである東照平さん、東民子さんが何度か登場します。

今回紹介するのは1969年、天籟庵が吉備中央町に移築保存された際に作庭した庭園について、席開きの準備をしている日記です。

「昭和四十四年 九月 十二日 金曜日 晴
朝八時半の備北バスで高梁へ行く。
九時半に高梁の東さんを訪ねる。
民子さんとてもよろこんで下さる。
茶庭など一覧して話し、修理のことも話す。
茶の馳走になつて本家へ行つて照平老に久し振りに会って話す。
昼食を馳走になつて話す。
大変喜こばれる。
夕方まで西平君も来てくれて話す。ー下略ー」

『日本庭園史大系28 現代の庭2』1972 p.209

天籟庵の席開きは10月28日・29日の2日間にわたって行われ、

天籟庵・濃茶席

公民館の茶席・薄茶席

広間・懐石席

という構成でした。

「濃茶席は私が席主となり、東民子、仲村今日子、西平富美子、川坂善枝の諸子その他何名かの点前の応援があり、薄茶席は難波宗琴氏を席主とし、懐石席は妻が席主で、完途夫妻、その他多くの人々の応援があった」
『日本庭園史大系28 現代の庭2』1972 p.148

驢庵を継いで管理されていた民子さんとは、

濃茶席で共に茶を点てていたりと親交が深かったことがうかがえます。

約300人もの来席だったようです。