驢庵について その4 -報告書部-
重森三玲の日記で驢庵について書かれているのは、
茶室の施工中のようすと
庭園の工事のため4日間高梁へ来ていたときのことです。
『昭和30年10月28日金曜日 雨』
の日記で、移築工事が行われる場に登場し
十数箇所を改造したことが書かれています。
さらには西大寺町からの移築であることと、
萬延元年の席であることが明記されています。
茶室の移築元についてTeam roanで情報を集めてはいますが
岡山でも西大寺という地名が複数あるためどの西大寺か、という問題がまずあります。
まずは町の規模の大きいほうの西大寺へ行ってみました。
地域の文化資料館があるほどで、何か関連するものを探してみましたが
手がかりはありませんでした。
次に前オーナーであった東民子さんが牛窓地域と交流があったという話が出てきたので
牛窓へ調査へ行きました。
牛窓の茶室といえば服部家ですが、そちらも手がかりはつかめず終了しました。
そして次のタイミングは昨年5/2でした。
茶室天井裏調査で出てきた古板に、
「人見宗玄」
「石原」
のように読める字が書かれていました。
人見家といえば、速水流を普及したと言われる名家です。
「石原」という人名(?)についても、この情報をもとに
再度西大寺へ向かいました。
今回はお茶のことなのでお茶菓子屋さんへ。
話をしていると近所の方も情報をくださり、
西大寺にはたしかに茶室はたくさんあったが、現存しているかは不明であることが分かりました。
しかし、現在速水流は西大寺にはいないとのことでその日は調査終了です。
もし何か情報がありましたら、ぜひTeam roanまでご連絡ください